若いときは200年の重みがわからなかったから、想像力の貧していた私は、200年の眠りの間のユーリという存在がスマイルの中で、信じる事ができる確固とした型のあるものだと思っていたのだ。
だが、年はとってみるものだなぁ…と。ユーリの眠りの1/8しか生きていない自分でも、反応が無いものは存在していないと等しくなるという事に気付けたので、そこから、どれだけスマイルが孤独になっていくのかわかってきた。
(この場合の孤独とは独居などの孤独ではなくて、群衆の中にいての本当に人間が感じるべき孤独の事で…この孤独を知っていて人里離れて独居するというなら、それは孤独を避けるための行為)
ユーリが起きると信じていたのだとしたら、まずそこの信心があやふやになるし、
回りにユーリという美しい感動的な存在の記憶を分かち合う事ができないとなると、もうユーリが本当に素晴らしい美しい、愛すべき者だったのかも自信が揺らぐだろうし、
私は頭の中がメルヘンな鬼畜なので、ユーリは眠っている或一定期間を超えると人の型が無くなって、棺桶いっぱいの薔薇になってしまうと思っているので、スマイルはユーリとの記憶が本当だったのかもわからなくなってしまうのではないのかと思う。
ただ漫然と社会に溶け込んで生きていくことは、なんとか出来たとは思うけど、見えない大事なものを守り続けていくのは大変だろうと思う。しかも、人間の並の寿命の3倍は不在。ユーリはなんて奴だ!本当に酷い!
…そんなこんなで
スマイルが透明だけなら苦しまないだろうけど、透明人間を名乗ってるので200年はもうなんかわけわからん200年だったと思う。
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